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2011年5月12日 (木)

「原発反対派を『無知』呼ばわりする『専門家』たち:もう安全を任せるのは、やめよう」クーリエ・アンテルナショナル/毎日新聞(5月5~11日)

クーリエ・アンテルナショナルは55日、福島原発事故の後も「決して自らの非を認めようとしない東京電力」はじめ、国民の命と健康に関わる問題に正面から答えようとしない政府・民間の「横柄な専門家」たちの態度に疑問を投げかける毎日新聞の記事を取り上げた。

これらの原子力「専門家」たちは組織を超えて「原子力村」を形成し、団結して互いの利益を守るべく動いていると言う。また、原子力に疑問を持つ者・反対する者を「非専門家」と貶め、切り捨てることで自らを特権化するとともに、「原子力村」の利益を守っている。(以下、要点のみ紹介)

福島第一原発における大惨事を取材するため、私はしばしば東京電力、経済産業省の管轄下にある原子力安全保安院、首相官邸の指導下にある原子力委員会の記者会見を傍聴してきた。決して自らの過失を認めようとせず、悔恨の表情すら見せようとしないこれら機関の「専門家」の態度に、私は深い驚きを感じる。

これら「専門家」たちは、「予測できない事態」「前例の無い大災害」といった決まり文句で物事をごまかしている。この分野で働く関係者は「安全」という言葉を問題解決のための魔法の決まり文句か何かのように使う一方、批判を無視することを好む。そんな中で、福島での原発事故が起きたのだった。

「皆様に多大なご心配をおかけしたことを、深くお詫び申し上げます。」

東京電力の発言には必ずこの言葉が続く。東電幹部の態度は、新聞記者が福島原発の安全性に疑問を投げかける質問をすると、手のひらを返したように変わった。態度は常に丁寧だが、決して自らの非を認めない。答えに窮する質問をされると、新聞記者をただじっと黒目で凝視し続けたり、できるだけそっけない返答をする。

こうした記者会見の模様はテレビやインターネットで広く報道され、国民を不安にさせている。政府による福島原発事故の後処理が全く安心感を与えるものでないだけに一層、その不安は高まっている。

「彼らは私たちに嘘をついているんじゃないか?」、と。

私は2002年以来、3年をかけて15もの原子炉が立ち並ぶ西日本の「原発銀座」地区で、主に原発問題を取材して来た。だが私が取材した技術者や研究者たちから決して良い印象を持たなかった。都合の悪い質問には決して答えない高慢な態度が、印象として強く残っている。

20031月、名古屋高等裁判所の金沢支部が高速増殖炉「もんじゅ」(注)の設置許可を無効とする判決を出した時、原子力業界の専門家たちは(これを不服として)上告した。

これに関する一連の議論を傍聴していた時、ある原子力推進派の大学教授が「もんじゅ」の設置に反対する国会議員に専門用語を浴びせ、この議員を無知蒙昧かのように扱って公衆の前で恥をかかせ、黙らせたことがあった。そしてその後私は、その部屋の片隅でこの教授が自分の同僚たちとお互い分かりあった風な笑みを交わし合っているのを目にしたのである。

数年前、「もんじゅ」の地元テレビ局がドキュメンタリーを作成し、原子力に批判的な研究者を登場させたことがあった。地元の電力会社は「原子力のことは何も知らない輩だ」と同研究者の出演に強硬に反対した。私が取材を行った時に、この電力会社の社員がこう言っていた。「この研究者は何も分かっていない。恥ずかしいと自分で自覚を持つべきだ。」

(原子力に反対する人を「原子力を知らない人間」と決めつける)同じ軽蔑の態度が、福島原発事故を巡る東京電力の記者会見にも見られる。

なぜこのような傲慢な態度が原子力関係者に広がったのだろうか。 

元原子力技術者の飯田哲也は、原子力業界の関係者はみな同じ「原子力村」の一員、という感覚を共有しているからだと説明する。

大学を卒業したばかりの若い技術者たちは、大学教授のつてで電気会社や原発建設にかかわる企業、原子力関連の省庁・自治体職などに就職を決め、今度は自分たちが「村」の一員となる。職場・職種の違いは(村内では)関係ない。

他方で原発村の村民たちは、原発事故が起きメディアに大きく報道されると、脱原発派のNGOによる批判の矢面に立たされる。「非難されている」という気持ちが、自分を非難する相手を「アマチュアの意見」と逆に非難する姿勢を生み、自分たちは唯一の専門家だ、という気持ちを強化する。

日本の原発における安全管理の規則は、原子力安全保安院と原子力委員会によって二重に管理されることになっているが、両方の委員が同じ村の村民なので監視機能が働かない。結果として、安全管理規則は原子力業界の利益を守ることを優先した内容になってしまう。

同様に、原子力安全保安院は原子力発電所の推進を所管する経済産業省の所管であるために、原子力の安全に関する監視はおろそかになってしまっている。福島原発事故を受け、遂に両者を切り離すことが検討されているが、単純に組織を切り離すだけでは「専門家」たちの態度は変わらない。

今まで私たちは、原子力の問題を技術者や研究者といった「原子力村」の関係者にゆだね、直接関心を持とうとしないでやってきた。しかし自らの被曝や電気の不足といった問題は直接私たちに跳ね返って来ている。原子力の問題が私たちの命と生活を左右することが明らかになった今、もはや無関心ではいられない。

注)他の原子力発電所で生成されたプルトニウム廃棄物を燃料として再利用し、稼働するタイプの原子炉。欧米各国は様々な理由から既に同タイプの原子炉の利用から撤退している。1983年、日本政府は同原子炉を福井県敦賀市に設置することを許可、198510月に着工した。しかし「もんじゅ」は1995128日にナトリウム漏洩火災事故を起こし、以降は運転を停止。

19859月に既に建設運転差し止めの民事訴訟と設置許可無効確認の行政訴訟が起こされ、20031月に名古屋高裁、金沢支部が設置許可を無効とする原告勝訴の判決を行った。しかし原子力政策を推進する国側は上告、2005年、最高裁は住民逆転敗訴の判決を行った。(「もんじゅ」訴訟関連記事http://www.shomin-law.com/essaymonjuhanketsu.html

Kosuke Hino, "Le lobby nucléaire imperturbable" Mainichi Shinbun cité par Courrier International no:1070 du 5 au 11 mai 2011

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コメント

 海外のとても貴重な情報をありがとうございます。

私は東京の港区在住です。 
3月14日には、ドイツ、フランス大使館関係者は都内からすでにいなくなり国外へ避難したと、近隣ではその話が話題になりました。
原発先進国の方の対応の速さに放射性物質の脅威を感じた毎日でした。
また、ゴールデンウィーク前後は、外国人専用住宅街で国外退避の引っ越しが盛んに行われ、今では街並みが閑散とし寂しくなりました。これも全て目に見えない放射性物質が原因でしょうか?

フランスの情報は、日本の情報より的確で大変役立っております。
わたしたちは、残念ながら死ぬまで目に見えない物の脅威に不安を感じながら暮らしていかなければいけないのでしょうか。
日本では正しい情報が2カ月も経ってから分かるという非常事態の中で、フランスから正しい情報を教えて頂き感謝、感謝です。是非、多くの方に読んで頂きたいですね。

アライさん
コメントありがとうございます。皆さん引っ越していかれたのですね。。フランス国内ですら野菜や水の摂取に気を使っている位ですので、残念ながら、やはり。。という感じがしました。それでは、逃げられない日本人はどうすれば良いのでしょうか。フランス政府も日本政府には多くの配慮を行っていますし、フランス側からもだんだんと情報が出なくなって来ています。本来は政府から独立した日本の組織が、調査や提言を行うのがベストなのでしょうけれど。このブログでは、可能な範囲で、役立ちそうな情報があれば共有させて頂きたいと思っています。どうぞよろしくお願いします。

フランスの貴重な情報をありがとうございます。アライさんと同じく港区在住です。地震直後のフランスドイツの迅速な行動は、羨ましい限りです。うちは、主人がイギリス人ですが、東京から英米が退避していないから問題ないの一辺倒で、日本人の文化として、政府の発表があると学校も組織も身動きが取りにくいから表向きは平穏に見えるだけ、自分で判断しないとダメなんだ、と主張しても埒があきません。

フランス大使館お勤めの知人のお子さんの中にはまだ都内におられ、通常どおり登校してらっしゃる方もおられますが、飯田橋のリセなどは皆さんどうされておられますか?

うちは小学生二人の息子とも地元公立ですが、今一番の不安は、給食のことです。汚染原乳をブレンドして甘い基準値をクリアさせた牛乳を給食に出され、原産地不表示が拡大する中、成長期の子供を守るには、どうするか、毎日暗澹たる思いです。

給食を一人だけ拒否するのは、日本の組織では事実上困難です。自立や自主、こういう時に文化が意味を持つのだな、と痛感。多様性を受け入れない画一行動規範が、こういう時には効いてしまうのでしょうか。

blogやネットで交換される貴重な意見やデ−タ、知見を踏まえ、一人一人がいかに行動するか、本当に難しい時期、岐路に立たされていると感じています。

お茶会ママさん

コメントありがとうございます。給食の件、福島の子どもたちが汚染された野菜を給食で食べなければならないとの話を読んでいろいろと考えていたところでした。リセでの給食の状況まではよく知らないのですが、フランス大使は日本政府に対してとても気を遣って、4月にはすぐにリセを開校したのを覚えています。ただその一方で、サルコジ大統領は何度もフランス人をパリへ運ぶための飛行機を飛ばしていました。外交もしつつ、自国民も守ろうとする政府の姿勢の現れでしょうか。子どもや自分をどうすれば守れるのか、一人一人が勇気を出して行動しなければならない時がきているように思います。

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