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2011年7月13日 (水)

「ドイツはなぜ原発をやめるのか?(3)脱原発は民主主義への道」ルモンド紙/ウルリッヒ・ベック(7月10日)

前回、前々回に引き続き、ウルリッヒ・ベック教授による論文「遂に『原子力後』(ポスト原子力)の時代がやってくる」の続きをお送りします。

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5.原発事故による危機意識の高まり、団結、そして電気を自らの手に取り戻すための民主化へ

太陽光発電は民主的だ。原子力発電はその性質からして反民主主義的である。原子力発電所から電気を引く者は、請求書にある金額を支払わない人間への電気を断ち切ってしまう。こんなことは、自宅で太陽光発電を通じて電力をまかなっている人間には起きようがない。太陽光発電は、人を独立させる。

言うまでも無く、太陽光発電が人々を自由にする潜在的な可能性を持つという事実は、原子力エネルギーによる電力の独占に疑問をつきつける。アメリカ人、イギリス人、フランス人―あれ程までに自由に価値を置く人々が、なぜ電力政策の転換がもたらすであろう「自由への解放」という結果を理解できないのだろうか。

(ドイツによる電力政策の転換に直面して、)あちこちで人々が(ドイツにおける)政治の終焉を宣言し、それを嘆き悲しんでいる。しかし逆に、リスクに対する見方を変えれば、私たちは「政治の終焉」の更なる終焉を引き起こすことができる。これを理解するためには、アメリカ人哲学者のジョン・ドゥーイが1927年以来その著作『公衆とその諸問題』(邦訳2010年、ハーベスト社)で示した見方に立ち戻るべきだろう。ドゥーイによれば、国際的な世論の高まりは政治的な決定を生み出さない。しかし政治的な決定がもたらす結果そのものは、市民の物の見方に極めて重要な問題を引き起こす。

それまではお互いに全く関係の無かった個々人が、危機を感知したことによって互いに連絡を取り合わざるを得なくなる。リスクの存在を認識したことによって、これらの人々にはそのリスクを消し去るための義務と支払うべき代償が生じる。原子力の「危険」に対するヒステリーで過剰な反応だとして、多くの人が非難されるべきと考えている個々人の反応は、実は民主的な社会を形成するために必要な社会の転換と両輪の関係にある電力政策の転換をもたらすのに必要不可欠な展開なのである。

原子力による大災害が起きる危険性を許す行動戦略は、文明という観点から見る時、資本と国家の新自由主義経済的な連携が生み出す秩序を意味のないものにしてしまう(注5)。原子力に関する災害に直面し、政権を握る者としての新たな正統性を持つや否や、国家と市民社会の運動は新たな力を得ることになる。逆に、原子力産業は自らが行った投資の結果として全ての人の人生を危険にさらすことにより自らの正統性を失う。反対に、今日のドイツで見られるような市民社会と国家の新たな連帯は、歴史的なチャンスを生み出すことになる。

政治的な観点からも、電力政策の転換には意義がある。保守的で財界の近くに身を置く者だけがこのような電力政策を交渉し勝ち取ることができる。こうした転換に最も強く反対する者が同業者だからこそ、交渉できるのである。

原子力経済から脱却するというドイツの決意を批判する者は、自らがさなぎから抜け出て「再生可能エネルギー」という名の蝶として羽ばたいて行こうとしていることに気づかずに(原発の)消滅を嘆く醜い青虫のような、そんな過ちにいずれは苦しむことだろう。(了)


<注5>すなわち、政府と財界が協力して原子力の危険を容認する行動戦略を容認している場合にも、「文明」の観点からこうした現状を見直せばこうした秩序は意味のないものになる、の意。

ルモンド紙によるオリジナル記事
(Ulrich Beck, « Enfin l’ère postnucléaire », Le Monde, 2011.07.10)
http://www.lemonde.fr/idees/article/2011/07/09/enfin-l-ere-postnucleaire-par-ulrich-beck_1546872_3232.html

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コメント

フランスねこさま
いつも訳出お疲れさまです。有用な情報をほんとうにありがとうございます。今回の記事もたいへん強い関心を持って拝読しました。

ただ、僭越ながら、本筋とは関係のない箇所を、重箱の隅をつつきますけど、最後の2行は日本語としていささか違和感を感じましたので原典へ飛んで私なりに解釈してみました。

《原子力経済から脱却するというドイツの決意を批判する者は、さなぎから再生可能エネルギーという名の蝶として羽ばたこうとしていることに気づかぬままで、(原発の)消滅を嘆く醜い青虫のような過ちにいずれ苦しむことだろう。》

ヨーロッパ人が用いる比喩は時として理解に苦しみますね(笑)
出過ぎたマネをして失礼いたしました。これからもよろしくお願いいたします。

midiさん
ご指摘、本当にどうもありがとうございました。最後に力尽きてしまい頭が働いていなかったようです。さっそく訂正しました。ウルリッヒ・ベック教授の寄稿論文は直訳すると少し難解な日本語になってしまうため、少し噛み砕いた訳になるよう多少意訳させていただきました。少しでも分かりやすくなっているとよいのですが。今後ともご鞭撻のほどどうぞよろしくお願い致します。

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