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2011年9月26日 (月)

原発を止めるためのカーニバル「楽しさがあって初めて人は動く。10万人集まれば国も変わってくる。(その1)」毛利嘉孝/クーリエ・アンテルナショナル(9月15日)

国民の70%以上が段階的な原子力の廃止を望む国、日本。しかし我が国の政府は原発の再稼働や海外への原発輸出の継続を国内外に明言しています。そんな中、4月10日の高円寺デモに続き、9月19日に明治公園で行われた「さようなら原発」集会には6万人もの人が参加、大きな成功をおさめました。

「お祭り」デモについての議論が盛り上がる中、雑誌クーリエ・アンテルナショナルに、著書『ストリートの思想』などで知られる現代文化と社会運動の社会学者、毛利嘉孝準教授(東京藝術大学)へのインタビュー「『"お祭り"デモは社会を変えるか?』活発化する反原発・脱原発運動に見る現代デモ事情」(日刊サイゾー)が転載されました。日本語版は4月に掲載されたものであり、少し長めでもありますが、興味深い議論だと思いましたので、御紹介させて頂きます。尚、原文が見つかったので、今回は翻訳の代わりに引用させて頂きます。

(元の記事はこちら http://www.cyzo.com/2011/04/post_7196.html

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 福島第一原発事故に収束の見通しが立たない中、各地で反原発・脱原発を訴えるデモ運動が活発化している。中でも、震災から1カ月後の4月10日に東京・高円寺で行われたデモには約1万5,000人が集まり、Twitterなどネット上で大きな話題を呼んだ。

 だがその一方で、新聞・テレビなどの大手メディアはこのデモを軒並みスルー。また、一部ネットメディアに報じられたレポートに対しても「単なるお祭りでは?」「遊んでいるだけにしか見えない」といった否定的な意見が散見された。

 安保闘争や全共闘の時代には社会現象として一般にも強く訴求した「デモ」という行為は、現代においてどんな意味を持っているのか。果たしてデモ行進は、社会を変える求心力たり得るのか。『ストリートの思想』(NHK出版)の著者であり、音楽や美術などの現代文化やメディア、社会運動などの研究・批評を行っている東京藝術大学准教授・毛利嘉孝氏に話を聞いた。

――毛利さんも「4.10高円寺デモ」に参加されたそうですが、まずは率直な印象を聞かせてください。

毛利嘉孝氏(以下、毛利) みんな「誰かと話をしたかったんだな」ということをすごく感じましたね。3月11日の震災以降、人が集まることが難しくなっていたし、報道を見ていると言論が抑圧されているように感じることもあって「このままじゃ日本がダメになるんじゃないか」という不安を抱えた人たちが集まっていた。僕自身も、外に出て誰かと話せるという開放感はありましたね。

――確かに、震災からしばらくは"自粛ムード"もあって、外出を控えていた人が多かったように思います。では、そもそものデモの定義とはどんなものなのでしょうか。

毛利 民主主義を支えるひとつの表現形式だと思います。民主主義には、直接民主主義と間接民主主義という2つの形式がありますが、選挙で誰かを選んで政治をやらせるという間接民主主義を補完する役割が、デモにはあると思います。選挙では4年から6年間の代表を選びますが、その人にすべてを任せているわけではなくて、当然、状況が変われば民意も変わっていく。でも、それを示す方法って実はほとんどないんですよね。世論調査もありますが、調査機関によっては、どの程度信用できるのか分からない。これだけ世の中が複雑化してくると、直接的に何かを表現するような空間が必要で、デモはその場所として機能していると思います。

──種の抗議運動とは、また別の役割ということでしょうか。

毛利 何かに対しての直接的な"抗議"というよりは、もう少し大きな意味で社会を変えていくような機能だと思います。デモって、複雑なことはできなくて、基本的には「戦争反対」とか「原発なくせ」とかシングル・イシュー(一つの問題をめぐる政治運動)にしか対応できないんです。でも、これが重要になる瞬間があるんですよ。そうした状況では、デモは選挙以外にアクションが起こせる数少ない手段だと思います。

 よく東電の前でデモをやればいいじゃないかという声がありますが、あれは直接的な抗議なんですよね。不特定多数の前でやることで、原発問題に興味のない人やあまり否定的ではない人たちに対して何か意見を訴えていく、世論をつくっていくという機能も、デモにはあります。

(続く)

●もうり・よしたか
1963年、長崎県生まれ。京都大学経済学部卒業。ロンドン大学ゴールドスミス・カレッジにてPh.D(sociology)を取得。九州大学助教授などを経て、現在東京藝術大学音楽学部音楽環境創造科准教授。専攻は社会学、文化研究。著書に『文化=政治――グローバリゼーション時代の空間叛乱』(月曜社)、『ポピュラー音楽と資本主義』(せりか書房)、『ストリートの思想』(NHK出版)などがある。

<出典>
日刊サイゾー「『"お祭り"デモは社会を変えるか?』活発化する反原発・脱原発運動に見る現代デモ事情」http://www.cyzo.com/2011/04/post_7196.html

(Cyzo, « Un carnaval pour arrêter les centrales », Le Courrier international, n°1089, du 15 au 21 septembre 2011.p.36)

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