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2013年7月12日 (金)

「吉田さんがいなかったら、生きて帰れなかった」ー「最悪」を食い止めた男、吉田昌郎(まさお)所長、死去/ルモンド紙(7月11日)

カリスマ的な人物だった。ヘビースモーカーで、熱心な仏教徒だった。

吉田昌郎(まさお)元福島原発所長の死によって、日本人は福島事故に関する唯一の目撃者を失った。7月9日、享年58歳でその命の灯火は途絶えた。

吉田氏は食道がんに侵されていた。そのために、2011年11月には福島原発での現場の運営・指揮業務を退かざるを得なかった。


吉田氏死去の知らせに、福島事故発生当時総理大臣を務めた菅直人氏は次のように述べ、故人への敬意を表した。

「絶対の信頼をおける人でした。吉田氏の決断が無ければ、福島原発事故は最悪の事態に発展していたことでしょう。」

菅氏は1979年に東電に入社した技術者の決断を回顧しつつこう推測した。


3つの原子炉が炉心溶融を起こす緊急事態に直面する中で、吉田氏は東電幹部の制止命令を物ともせず原子炉に海水を投入したのだ。それは自らの会社から叱責を受けることが明白な行為だったが、吉田氏は毅然と立ち向かった。

2012年11月12日、初めて報道陣が福島原発の現場に足を踏み入れることを許可された際、吉田氏は次のように告白している。

「事故が起きた初めの週、自分は死ぬだろうと思ったことが何度もありました」

東電の広瀬社長は吉田氏の死去について「温かみのある人だった」とコメント。同社は吉田氏を苦しめた食道がんと福島原発事故の間に関連を否定している。

2011年3月の事故当時、福島原発の現場に居合わせた原発作業員たちは、今も吉田氏について心に響く思い出を胸に抱き続けている。

「国から勲章をもらって当然の人だったと思います。」

事故に居合わせた東電の元下請け作業員で、現在は原発に反対する活動を行っている男性は次ように述べる。

「あまりにもひどい状況でした。だから、吉田さんがいなかったら生きて帰れなかった。」

(一部編集)


●元の記事:「最悪の事態を防いだ男、吉田昌朗氏死去」/ルモンド紙(7月11日)
(« Masao Yoshida, l’homme qui a évité le pire, est mort », Le Monde, 2013.07.11)
http://www.lemonde.fr/planete/article/2013/07/10/masao-yoshida-l-homme-qui-a-evite-le-pire-est-mort_3445319_3244.html

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コメント

確かにあの時、吉田所長が海水を注入したおかげで助かった日本国民は
沢山いる。
こんなに早く、亡くなるなんて、まだ何も解決していないと言うのに、
非常にショックです。

あかにゃさん

コメントをありがとうございました。
事故の状況が十分に解明されない中での御逝去、大変残念です。そして感謝の気持ちを表したいと思います。

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