無料ブログはココログ

« 福島―終わらない除染の日々/ルモンド紙(3月11日) | トップページ | 眠りに落ちた村:旧ソ連のウラン鉱跡で広がる謎の「眠り病」/英ガーディアン紙(3月18日) »

2015年3月12日 (木)

戻らない故郷、福島―原発避難民の苦しみ続く/BBCグローバル・ニュース(3月11日15時)

3月11日午後14時46分。4年前未曾有の地震と津波が日本列島襲ったこの日、全国で数分間の黙祷が捧げられた。東北大震災で無くなった人の数は1万6千人にのぼる。

他方、家を失った人々のための住宅建設は遅々として進んでいない。何万人もの人が今も仮設住宅に住み続けなければならない現実がある。福島第一原発の周辺地域から避難した人々は、今も自宅に帰れる見込みが立っていない。BBCの特派員が現場を取材した。


●仮設住宅

(大音響で水前寺清子の「三百六十五歩のマーチ」が流れている)
「幸せは歩いて来ない だから歩いて行くんだね。。」
https://www.youtube.com/watch?v=1Skn0HuLkfs 

6時半、雨の降る寒い朝。福島市郊外の駐車場ではダウンジャケットと毛糸の帽子をかぶった老人たちが朝の体操を行っている。

「人生はワンツーパンチ。。」

絶え間なく流れる陽気な音楽とは裏腹に、人々のムードは暗く沈んだままだ。彼らは皆、「原発難民」だ。

「寒い。」

体操が終わるや否や、飯舘村から避難している60歳の安斎徹(あんざい とおる)は急いで部屋が二つあるだけの仮設住宅の部屋へと急いだ。

<安斎さんの写真展>
http://ameblo.jp/fukushima-yamaguchi/entry-11882498710.html


安斎氏は2011年3月の原発事故以来この仮設住宅で暮らしている。中は暖かくて居心地が良い。しかし自らの家を失ったという事実は安斎氏に大きな代償を強いて来た。

「事故前は、医者いらず薬いらずで暮らしていました。」

しかし原発事故の後、安斎氏はストレスのために心筋梗塞に見舞われた。

「今もあまりのストレスで、時々食べることすらできなくなるんです。これから先どうなるか、全く分からないからです。いつ家に帰れるのかも分かりません。」


●300年の家業と

福島市から車で2時間の距離にある福島第一原発の事故処理現場は巨大な建設現場と化していた。何千人もの作業員が全身を防護服と呼吸用マスクに包んで24時間休み無く働いている。破壊された原発の残骸は今も非常に高い量の放射線を発し続けており、事故処理は早くても数十年先のことになる。

第一号機の近くで記者がガイガーカウンターを掲げると、すぐに警告音の「ピー」という音が鳴り響いた。毎時100ミリシーベルト。特派員記者は安全の観点からこの場所に20分以上立っている事はできない。

原発から約5キロ先には過去300年、16世代にわたり大堀相馬焼きの生産を続けて来た滋賀喜宏(しが よしひろ)の家があった。

http://www.miru.co.jp/14/075.html

村は完全に打ち捨てられ、滋賀氏の家の庭は2メートルもの草が茂る「ホットスポット」となっていた。

ガイガーカウンターをかざすと針が振り切れて「ピー」という音が鳴る。陶器製作所の裏手には今も震災の瓦礫が置かれたままだ。誰もいつ瓦礫の処理がなされるのか検討もつかない。滋賀氏は郡山市に移り新しい土地で陶器の生産を続けることを決めた。

「あんなことが起きて。。 原発事故などで300年続いた家業を途絶えさせることはできません。」

志賀氏はこう語る。

「東京電力についてどう思いますか」

記者が訪ねると、

「聞きたくない社名です。」

志賀氏は引きつった顔で答え、長い間黙っていた。

「くやしいです。」

長い沈黙の後、志賀氏はこう答えた。

日本政府は福島原発事故の処理はやがて終わり住民たちは皆家に帰れる日が来ると主張してきた。今日、その言葉を信じる者は誰もいない。

(一部編集)

● BBCグローバル・ニュース(3月11日15時。20分〜26分までの間に当記事が放送されています)
http://www.bbc.co.uk/podcasts/series/globalnews/all

« 福島―終わらない除染の日々/ルモンド紙(3月11日) | トップページ | 眠りに落ちた村:旧ソ連のウラン鉱跡で広がる謎の「眠り病」/英ガーディアン紙(3月18日) »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 福島―終わらない除染の日々/ルモンド紙(3月11日) | トップページ | 眠りに落ちた村:旧ソ連のウラン鉱跡で広がる謎の「眠り病」/英ガーディアン紙(3月18日) »