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メディアの動き

2011年8月14日 (日)

「なぜあの子どもたちが、まだそんな学校に残っているのかが分からないんだ。」ジャン=ポール・ジョー監督が福島原発事故について取材/ネオン・マガジン(6月25日)

(来週以降に掲載予定でしたが、映画についての話題、ということでお盆休みに合わせ繰り上げてご紹介します。)

福島原発事故は、その発生から5ヶ月たった今も収拾に向かっていない。事故が引き起こした重度の放射能汚染によって生活の場を失った農民、漁民たちへの補償は遅々としたままで、人びとの不安は高まるばかりだ。

日本に足を踏み入れることを躊躇する外国人がいまだ多い中(注)、福島で苦悩する農民の状況や山口県祝島で原発建設反対運動に取り組む漁民たちに取材し、新作映画の撮影を行ったフランス人のジャン=ポール・ジョー監督へのインタビューの一部をご紹介します。

前作「未来の食卓」、現在公開中の「セヴァンの地球のなおしかた」では大量の農薬使用が農民や消費者たちに引き起こす白血病などの健康問題と、昔ながらの有機農法に戻ることで自らの土地を守ろうとする農民や小さな村の取り組みをとりあげたジョー監督。常に、地に生きる農民の視点、自然を見つめる子どもの視点に焦点をあてて来ました。今回の取材では正面から「反原発」を表明して撮影にのぞみ、一部の取材相手先からキャンセルを受けるなど、決して平坦な道ではなかったとのこと。2012年に公開予定の新作の出来にも期待しましょう。

(現在、鎌仲ひとみ監督による「ミツバチの羽音と地球の回転」、「100000後の安全」など、原子力について取材した映画が多数公開中です。ご興味ある方は、お盆休みの機会に涼みがてら出かけられても良いかもしれません。参考:渋谷「アップリンク」の8月のスケジュールhttp://www.uplink.co.jp/schedule/ )

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「ご自分の自己紹介をお願いします。」
「(略)今回は日本に長く滞在しました。福島を訪問したからです。なぜ福島へ行ったのか、というと(今回の原発事故は)地球規模での大惨事だったからです。もちろん、日本にとって本当に深刻な大事故でした。でも世界中にとっての大事故でもあったのです。環境を守るために行動する人間として(…)福島に根を張る『怪物』がしたことをこの目で見て映画に残す必要があったのです。」

「『怪物』に近づくことができたのですか?」
「残念ながら、原発そのものには近づけませんでした。でも、『怪物』が引き起こした惨憺たる結果には、事故の被害を受けた人びとに会うことで触れることができました。あらゆる多様な生物たちをかかえる農地が、何世代にもわたって被曝し、日本という国から切り離されたのです。」

「被曝の影響に触れられたのですか?」
「捨てられた村々、人びとがいなくなって打ち捨てられた農地。。でも、常に何らかの命が宿っていました。そうそう、子どもが全然いませんでした! 学校の校舎に閉じ込められた子ども以外はね。地表から1メートルの所でも、これ以上は上がらないというくらい目一杯高い放射線量なので、外に出るのを禁止されているのです。ところで、なぜあの子どもたちがまだそんな学校にいるのかが分からないんだけど! 子どもたちは身長が1メートルとか1メートル20センチとかで。。 

まあ、そんなことがことが分かりました。この怪物がやったことが分かったんです。僕が『原発』というかわりに『怪物』っていう言葉を使うのは、福島のある農民がそんな風に言っていたからです。その農民はこんな風に言っていました。

『福島に、怪物を作っちまったんだ。怪物を怒らしちまった。それで俺たち、この怪物の怒りをどうやって静めていいか分からないんだ。』

どんな国も科学者も、この種の『怪物』の怒りを静める方法なんて知りません。」

「たくさんのアーチストたちが福島原発事故を理由に日本への渡航を取りやめています。あなたは福島へ行くことに迷いはなかったんですか?」
「もちろん、迷ったよ! そりゃあ。。人間誰でも迷うよ。だいたい、フランスじゃ僕たち地震に慣れていない。地震を想像して直感的に『嫌だ!』って言っちゃうさ。それから、放射能で被曝するのにだって躊躇する。僕は僕の妻(映画監督)と一緒に被曝しました。僕らは一緒に放射能を浴びました。でも、こんな化け物みたいな醜いものについて語るんだったら、そこへ行かなくちゃ!

一瞬迷いはするけど、戦いたいのなら、行動しようと思うなら、『セヴァンの地球のなおしかた』でも『言ったことには行動が伴わなければ!』って(12歳の少女セヴァンが)言っているけど、やらなきゃいけないと思うんだ。」


(注)フランス政府は4月以降、対外的には自国民の渡航制限を行っていないが、福島での事故発生後に近隣の中国へすら旅行をとりやめたフランス人は多かった。パリの日本食レストランは今も「日本の食材は一切使っておりません」「中国と地元の食材を使っています」などの張り紙をして遠のいた客足が戻るのを待っている。

ネオンマガジンによる記事(仏語)
(Cedric, « Jean-Paul Jaud, la terre et nous », Neon Magazin, 2011.06.25)
http://www.neonmag.com/2011/06/jean-paul-jaud-la-terre-et-nous/ 
http://www.neonmag.com/2011/06/jean-paul-jaud-la-terre-et-nous/2/

2011年8月 6日 (土)

「線量計は子どもたちを守りません。世界で初めて線量計をつけて通学する福島の子どもたち、そして責任ある日本の大人たちへ」アレックス(6月15日)

在日歴10年の普通の(?)フランス人、アレックスが、東京から世界と日本の大人たちに向けて発信した手作りニュース。胸に響くものを感じたのでご紹介します。

http://www.youtube.com/watch?v=uMFk0g5H0QY (Youtubeの動画です)

7月15日に広瀬隆さんが政府と東京電力の関係者を刑事告発した件も、東大の先端科学技術研究センター・アイソトープ総合センター長の児玉龍彦教授が行った除染と食品汚染への対応に関する国会への抗議表明も、8月3日に福島の農民たちが汚染された麦わらと牛たちを引き連れて行った東電本社前でのデモも。

私たちが長く信頼してきた大手メディアは全く、もしくはほとんど報道を行っていません。そして、脱原発を叫んだ若いアーチストたちが仕事を失っています。

私たちが愛するこの国では、思ったことを自由に言うことすら難しくなってしまったのでしょうか。

アレックスの答えは、自分でニュースを作って発信することでした。日本が大好きな彼の手作りニュースが生まれたのも、そしてふとどき者に何度もネット上から消された後、こうやって誰かの手で残されているのもまた、今の状況の賜物なのでしょう。

たまにはこんな応援を聞いて元気になりましょう。

2011年5月 5日 (木)

「原発事故から25年、チェルノブイリの禁じられた世界への旅」ル・モンド紙/ドキュメンタリー(5月2日)

チェルノブイリ原子力発電所周辺の立ち入り禁止区域。

狼、金属の不法取引を行う日蔭者、犯罪者、立ち入り禁止措置実施の後も区域に住み続ける住民。将来を見いだせない若者たち、経済危機で行き場を無くしこの地に辿りついた「ごく普通の」一般家庭。

1986年の原発事故の後、周辺住民のほぼ全てが退避した放射能汚染区域。25年後の今日、いまだ高い放射線で汚染され続けるこの地域は閉鎖された牢獄であり、行くあてのない貧困者にとっての逃げ場でもある。

目に見えない放射能に永久に汚染された土地、チェルノブイリ。

写真家ギヨーム・エルボと新聞記者ブルーノ・マシは過去数年に渡り共に現地を取材してきた。チェルノブイリへの渡航は5回、滞在はほぼ4カ月間にわたる。その間、現地の様子をビデオを撮り、文章に書き、写真に収めてきた。二人が作成した複数の動画や記事は、「パリ・マッチ」、「ジェオ」含め多くのメディアに掲載されている。

ギヨーム・エルボは語る。

「何年もチェルノブイリを取材してきた。時には公式に、時には隠れて。そして2005年になって、チェルノブイリに戻るのをやめた。でも、ウエブ・ドキュメンタリーの手法が現れた時、むしょうに『この地の歴史を今までと違うやり方で語りたい』という衝動に駆られたのです。」

「放射能の危険は目に見えないし、ランダムなものだ。放射能汚染は一様ではなく、豹の毛皮の斑点のように濃淡のあるものなのです。」

「ゾーン」という題をつけられた短いドキュメンタリーは、各写真にカーソルを当てるとそれぞれの町の説明が現れる。写真をクリックすると、更に別の写真が見ら

れるようになっている(以下、画面にある各写真の説明)

http://www.lemonde.fr/week-end/visuel/2011/04/22/la-zone-retour-a-tchernobyl_1505079_1477893.html

1. チェルノブイリの「黒い金」:金属はチェルノブイリ地区の「金」だ。今日、この地域に残されていた軍事用動力装置のほとんどは持ちら去られている。

2. 立ち入り禁止地区での生活は、暴力と孤独に満ちている。

3. ストラコレッシー:チェルノブイリから200キロ離れたこの町は、地区内の「保養地」となっている。

4. イヴァンコフ:この町の若者たちはチェルノブイリの話など聞きたがらない。チェルノブイリ原発第四号基の陰は呪いのようにのしかかっている。

5. パリエスカ:汚染されたこの町は、事故から10年たってやっと退避が行われた。20人余りの住民たちは、今も廃屋の中に暮らし続けている。

6. プリピアート:事故の翌日に全ての住民が退避したこの亡霊のような町は、この何年もチェルノブイリの象徴となってきた。

7. チェルノブイリ発電所は2000年以来、発電を行っていない。しかし維持管理や安全対策のために、今でも2500人もの人が雇用されている。写真は、発電所内部や作業員用の食堂、バーなど。

8. バザール:この地区を整備することは禁止されている。しかしバザール市は町が死に絶えて行くのを見ていることができない。現在、同市は新たな入居者に対し、打ち捨てられた家々を無料で提供している。新しい住民達にとってこの町は逃げ場であり、新たな出発の場所でもある。

Guillaume Herbaut & Bruno Masi, la « Zone », Le Monde, 2011.05.02

http://www.lemonde.fr/week-end/visuel/2011/04/22/la-zone-retour-a-tchernobyl_1505079_1477893.html 

参考:

  • 2人が取材した内容を掲載しているブログ: Retourachernobyl.com

  • 出版されている本:「La ZoneNaïve出版社。

2011年4月26日 (火)

「チェルノブイリ事故と旧ソ連政府:現地取材禁止から政権陥落と国の崩壊へ」ル・モンド紙・写真(4月25日)

チェルノブイリ原発事故が起きた1986426日にモスクワに配属され1993年までの間フランス・ラジオとフランス・テレビ1のモスクワ特派員を務めたユリス・ゴセットが、チェルノブイリ事故が起きた当時の状況を語った(複数の写真と音声入り)。

http://www.lemonde.fr/planete/infographe/2011/04/25/tchernobyl-les-journalistes-ne-pouvaient-pas-se-rendre-sur-place_1512384_3244.html 

「偶然ですが、426日にフランス・ラジオとフランス・テレビ1モスクワ特派員として配属され業務を開始しました。でも、最初は何が起きていたのかが分からなかった。政府関係者が現地に向かうのを見て、何か重大なことが起きたのだと思ったのですが、何の公式発表も無かった。原発事故に関する情報は無かったのです。

そして事故発生から24時間後に、ソビエト政府の名前で『チェルノブイリ』原発事故による被災者への弔意を伝える声明だけが出されました。それで初めて『チェルノブイリ』だと特定されたのです。でも、実際に何が起きていたのか、また惨事の規模についても、何も分かりませんでした。24時間が経過して初めて、何か重大なことが起きたという事実だけが伝えられたのです。

何が起きていたのかを理解するのは至難の業でした。当時、外国人記者はモスクワを出て取材することを禁止されていたのです。

現地から列車で到着する人たちに、事故の深刻さについて取材を行いました。そして7月上旬になって初めて、チェルノブイリ周辺地域を訪問することができたのです。非常に強い印象を受けました。プレカットの町に入ったのですが、住民が完全に退避した後で、ゴーストタウンになっていました。子どもが遊んでいた人形、ノート。。全てこのようにうち捨てられて、全く予期されていなかった事態だったことが伺えました。事故の後の数週間、ずっとそのままにされていました。そしてそれ以来、今に至るまでずっとそのままなのです。

ゴルバチョフ大統領は最終的には事故の状況を発表して透明性が確保されていることを印象づけようとしました。プロパガンダや抵抗もありましたが、遅ればせながら検閲を無くそうとする流れができて行ったのです。そして最後には、ソ連とゴルバチョフ政権自体の陥落を招くに至りました。最終的に、この事故は劇的かつソ連の歴史を根本から覆すものとなったのです。事故によって、ソ連の歴史が新たに塗り替えられたのです。

写真:

l  事故発生直後のチェルノブイリ原子力発電所(複数)。

l  緊急退避により捨て置かれた子どもの人形と学校の教室内。

l  ゴルバチョフ大統領(当時)

l  関係者による状況説明会

http://www.lemonde.fr/planete/infographe/2011/04/25/tchernobyl-les-journalistes-ne-pouvaient-pas-se-rendre-sur-place_1512384_3244.html 

Ulysse Gosset, Le Monde, 2011.04.25

2011年4月 9日 (土)

「福島原発・仏文記事サイトFrance Media News休止―反響と否定的コメントに戸惑い」フランス・メディア・ニュース(4月7日)

福島原発事故および東北関東大震災に関するフランスの新聞・雑誌記事を定期的に翻訳・掲載していた数少ない日本語サイト「France Media News」は47日、急遽、休信宣言を行った。http://www.francemedianews.com/article-71206483.html 

同サイトが323日に配信した「福島原発は20108月から保険がかけられていなかった」(ル・ポワン誌/AFP共同、321日)

http://www.francemedianews.com/article-2010-70018735.html 

がインターネット上で議論を呼び、一部で記事の信憑性や翻訳の不備を指摘する声があったこと、当サイトが配信する記事に対し否定・批判的なメールが送付されたことによる。

同サイトは大震災直後の316日にフランス在住の翻訳者有志が中心となって配信を開始。海外メディアによる原発や地震報道に関心を持つ読者層の注目を集めていた。

http://www.francemedianews.com/article-71206483.html

France Media News, 2011.04.07