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証言

2011年9月19日 (月)

子どもが語る原発事故「生きていたい!」/チェルノブイリ子ども基金(1998年)

父は原子炉を閉鎖する仕事に出かけて行った。
近所の人みんながママをせめる。
「夫を死なせる気なの」と言って。
でも、父は生きて帰って来た。
だけど、いつものようにぼくをだいてくれない。
母は「父さんはとても汚れているから」と言う。
父は原子炉の変わりようにおどろき、
あまりの恐怖に声をあげずに泣いていた。

「プロピャチの町から避難した少年の思い出」より
(イリヤ・アシュチェンコ、14歳、キエフ市、p.12)


美しい絵本を見つけました。
1986年4月26日に当時のソ連(現在のウクライナ)で起きたチェルノブイリ原発事故の10周年を記念して、子どもたちの絵や詩を集めて1998年に出版された本です。

『生きていたい!チェルノブイリの子どもたちの叫び』(チェルノブイリ子ども基金編、小学館、1998年)

美しい絵とは裏腹に、子どもたちの苦しみや悲しみが彼等自身の言葉で伝わってきます。

14歳のニーナが書いた詩の一部です。


「4月のエコー 夢」
わたしたちは町を去った。
子どもたちから、思い出も、友だちも、うばっていった。
一番すばらしいものを取り上げ、
自分の生まれた大好きな町で
子ども時代をすごすことすらゆるさなかった。
あの原子炉は、苦しみと、みんなとの別れを
子どもたちにあたえただけだった。
子どもたちは、自分たちの町に、
いつの日か帰れることを夢見ていたのに。

 …

せめて一瞬でいいから、
わたしたちの町をもとにもどしてほしいのです。
わたしたちの子ども時代と友だちを。
わたしたちの大好きだった幼稚園を。
大好きな町の大切だったすべてのものを。
それをもう一度思い出すために。。。
(ニーナ・グローマク、14歳、キエフ市 p.18、24)


「甲状腺がんはゆっくりと進行するので早期発見が可能」
多くの新聞でこのような記載を見かけます。でも、がんになるという経験がどんなに苦しいか。甲状腺がんは、喉にメスを入れる手術をし、手術後も薬を一生飲み続けなければなりません。喉に残る手術の痕は、手術の後も子どもたちを苦しめています。15歳のイレーナが書いた詩です。


「お願い」
大人のみなさん、わかってください。
話したいことがあるんです。
毎朝、薬を飲むことが
それを一生つづけることが
どんなに、つらいことなのか。
みなさんの視線を感じると
「あの子の首の傷は、いったいどうしたの?」
と言っているのが聞こえます。

 …

ただ首のところは、そんなに見ないで。
どうか、そんなに目をむけないでください。

(イリーナ・レツ、15歳、チェルカスカ州 p.38、39)


最後に、13歳のアンナが書いた短い詩。


「無題」
死にたくありません!
だって、わたしはまだ14才にもなっていないんです。
(アンナ・トカチェンコ、13歳、ホイニキ市 p.44)


日本の子どもたちの言葉にも、もっと耳をかたむける必要があるように感じます。

<参考>
amazon.com『生きていたい!―チェルノブイリの子どもたちの叫び』
http://www.amazon.co.jp/生きていたい-―チェルノブイリの子どもたちの叫び-チェルノブイリ子ども基金/dp/4092902018 

※一部の公共図書館にも入っているようです。ぜひ一度美しい絵をご覧ください。

チェルノブイリ子ども基金のホームページ
http://homepage2.nifty.com/chernobyl_children/index.html